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宇野知佳子 / 社会人 / 2006年カンボジア8月隊
昨年、JHP・学校をつくる会2006年8月隊として、カンボジアに行きました。
ボランティアに行こうと思ったきっかけは、遡ること10年以上前にブラジルで、自分と同じ歳くらいの子どもの姿を自分の目で見たことだと思います。
カンボジアに行ってみると、小学生くらいの子が裸足で幼い妹や弟を抱く姿、物乞いをする姿を見ました。あれ・・どこかで見たことある??ふとそう思うと10年以上前に地球の裏で見た光景と重なりました。地球の裏にもあれば、今もなお日本のすぐ近くにそういった光景があるのです。
カンボジアで教員養成学校のワークショップに参加した際に、日本から届いた鍵盤ハーモニカを前にして習ったことを教科書に書き込む先生もいれば、繰り返し練習し身体で覚えようとする先生もいます。ブランコが完成すると、飛び乗る子どももいれば離れた所からブランコを見つめる子どももいます。海を越えても、大人も子どもも『十人十色』。改めてそう感じることができた貴重な体験でした。
こういった機会を与えてもらった私は、日本に帰国後『伝える』側になろうと思いました。幸運にも教員という職業を通じて日本の子どもに伝える時間を与えてもらいました。中学生という多感な時期。どれだけの子どもが耳を傾けてくれるか・・不安を抱きながら教壇に立ち、見たこと感じたことをありのまま話しをしました。翌日出勤すると、昨日の授業の始まりには眠たそうにしていた男の子が、照れくさそうに私に「はい。」と言って鍵盤ハーモニカを手渡してくれました。
『社会を映す鏡』と言われる子どもはカンボジアでも日本でも社会の歪みや影を背負って生きています。カンボジアではブランコに乗る時に『ありがとう』と言って嬉しそうに乗る子ども、日本では鍵盤ハーモニカを渡してくれた子どもや授業で耳を傾けてくれた子ども。そんなあたたかい気持ちの子どもに感謝をしながら話す事で、世界に向ける目を持ち、カンボジアと日本、世界の子どもと子どもが繋がるきっかけ作りができればいいなと思っています。
プルサットの空
キリングフィールドの空になびくカンボジアの旗
江村真由子 / 2001年12月隊 JHP・学校をつくる会 プノンペン事務所駐在
カンボジアに来て、あっという間に2年が過ぎた。私の思い描いていたカンボジアとは明らかに違う。プノンペンには新しいものが溢れ、タイの流行がどんどん流れ込んでくる。この2年で車の量もかなり増えた。デジタルカメラにカメラ付き携帯、さらにはゲーム付き携帯まで流行り始めている。都市部の中学生は先生から隠れて携帯ゲームに夢中になり、先生の話も半分にシジミのような貝を食べ、さとうきびジュースを飲んでいる。「なんだ、日本と同じだな。」と心の中でつぶやくこと多々あり。「まったくもう!」そう思うこといっぱい。
けれど、2年前には想像もしなかった素敵なところもたくさんある。忘れられないエピソードを1つ。地方のお宅に泊まりに行ったときのこと。椰子の葉でできた小さな家。家の中にはテレビもなく、1つ置かれたバッテリーには小さな電球がつながれている。家族のベットを私たちに譲ってくれたオーナーは「暑くてごめんなさい。これが我が家のエアコンです。」と言いながら椰子の葉の窓を開けてくれた。心地よい風が小さな家の中を吹き抜けた。“本当の豊かさ”について考えさせられた夜だった。
「田舎の家と一族」(場所はコンポンチャムです。)
そして、子どもたち!!カンボジアの子どもたちは、本当にいい顔で笑う。日本の子どももこんな風に笑うっけ?嬉しいときはめちゃめちゃ嬉しい顔。私も一緒に嬉しくなる。それから、カンボジアの子どもたちは「ありがとう」を忘れない。どんな些細なことでも、手を合わせて「オークン!!(ありがとう)」。思えば、あの笑顔と「ありがとう」に支えられた2年間だった。
カンボジアがもっともっと好きになった。
「田舎のこどもたち」
("成功"と書かれたTシャツが印象的でした)
「香草を摘む女性たち」
(2人の笑顔が素敵で、気に入っています)
清国 / プノンペン事務所に4年間駐在後、05年秋より東京事務所勤務 海外事業担当
砂
カンボジア南部、国道4号線の突き当りにシアヌークビル市という所がある。海と小高い山に囲まれ、大きなコンテナヤードがある港湾都市であり、リゾート地でもある。自分がカンボジア駐在員として赴任した5年前、ここのビーチの砂は「鳴き砂」だった。
踏みしめるたびに「キュッ、キュッ」と心地よい音を出していた。これは、砂そして海がきれいと言う証。そして、駐在員としての4年間、何度となく足を運んだが、いつも「鳴き砂」のままだった。
去年の秋に日本に帰任、今年3月に半年振りにシアヌークビルに行ってみると、街には新しいホテルやお店が出来て、少しは繁栄しているような様子。しかし、砂が鳴かない…。あの心地よい音が聞こえない…。そう、観光客が増え、ホテルが増えた結果、その汚水などで海が汚れてしまったのだ。まだまだ、日本の海に比べると、見た目は格段にきれいだけれども、海も砂も汚れ始めている。これは、シアヌークビルだけに言える事ではなく、アンコールワットがあるシェムリアップでもホテル建設ラッシュと観光客の増加で川とお堀の水が汚染され始めている。
鉱物資源、地場産業がほとんど無い今のカンボジアにとって、観光客の増加、観光収入の増加はすごく良い事。その反面、こういった汚染問題が起こってしまっているのも事実。
このまま発展して欲しいと思うと同時に、「鳴かない砂」に寂しさを感じた半年振りのカンボジアだった。
森永祥子 / 大学2年生 2005年カンボジア8月隊
微笑みの国
カンボジアの人達は、変に着飾ったりつくったりしていなくて本当に無防備な・無邪気な笑顔を私たちに向けてくれた。大人も子どもも。
私はその時ふっと無償の愛って言葉を思い出した。思わずこっちも笑みがこぼれて、そこで強く笑顔がつながっていくのを感じた。"微笑みの国"ってこうゆう事か!って思った。
向こうで感じた世界共通の笑顔のパワー。"微笑みの地球"になって世界中が笑顔でつながればいいのにと心から思った。
七條孝司 / 認定NPO法人JHP・学校をつくる会 東京事務所職員
カンボジアはアンコールワットだけじゃない!! んですが...
アンコール遺跡群の写真ってたくさん素晴らしいものがありますよね。もちろん自分もそういったものに魅せられて発った人間ではあるんですけど…。
自分がかの地に立った時は正直撮れませんでした、写真。一部を写真として切り取っちゃうと素晴らしさも部分的なものになっちゃう気がしたんです。そう感じさせてくれるほど素晴らしいものでした。
でも、そう勇んで帰国したのはいいんですが、あれから4年近くも経つと心のネガも色褪せてきちゃってます。ひたすら観光地化が進んでいるだとか、バイヨン寺院に瓦解の恐れ発見だとか。「また行きたい!一刻も早く!と思わせるような話ばかり耳にするし。
なによりなにより百聞は一見に如かず。
みなさんも是非カンボジアに足を運んでみてください。僕も行きます。
(今度はやっぱりちょっとは写真撮ってこよ。)(- -;)
カンボジアの伝統的な踊り〜アプサラダンス〜
吉岡健治 / 認定NPO法人JHP・学校をつくる会 東京事務所常勤理事
中古机椅子の寄贈
日本では子どもの数が減少し、廃校やクラス数が減ったためまだ使える机椅子が大量に破棄されることが起っています。机椅子の廃棄には処理代金も発生します。
他方カンボジアでは子どもの数が増えつづけており、学校が足りず、JHPでは校舎建設支援を続けていますが、備品としての机椅子も不足しています。
新校舎で使われる机椅子は通常木製の3人掛けで子どもの成長を全く考慮していないため下級生の子どもは立ったままで机に向かっていることもあります。日本の机はサイズが分かれており、つくりもしっかりしているので歓迎されています。そこでJHPでは机椅子提供のお話があると現地の受け入れ校を見つけ橋渡し役をしています。
問題はカンボジアまでの輸送費です。カンボジアで作られる木製の椅子机は1人分約10ドル程度ですが、海上コンテナーによる輸送費は1セットで20ドル以上かかります。
江東区では清掃課が中心になって机椅子を集めるだけでなく輸送費まで集めて下さいましたが、通常はJHPが申請書を作成し外務省の日本NGO支援無償資金協力を申請し、輸送費の助成を受けています。
現地に到着した机椅子は生徒総出で教室に運び入れられます。日本の生徒からの大事に使ってくださいというメッセージを届けることも多く、国際親善にも一役買っています。義務教育にも飛び級
カンボジアでは就学年齢に達した子どもの80パーセントが1年生に入学しています。しかし1年生の子どもの総数は就学年齢に達した子どもの120パーセントもいます。
この理由は一つには就学年齢に達しても進学できなかった子どもがその後学校に入ることが出来るためです。もう一つの理由は出席日数が足りないため1年経っても2年生に進級できず1年生に留年しているためです。進級テストに合格しなかったため進級できない子どももいます。今でも6年生を終了できる子どもは全体の3割以下です。
JHPが支援している孤児院CCH(幸せの子どもの家)の子どもはごみ山で生活していたため学校に行きたくとも行けなかった子供が多く、13歳で小学校1年生という子どもも何人かいました。
でも優秀な子どもはどんどん飛び級をして入所当時13歳で4年生だったナルン君は3年後の今では8年生になりました。
日本よりも小学校では勉強する意欲が問われているようです。
江口哲史 / 茨城大学 2年生 2004年カンボジア3月隊、2005年カンボジア8月隊(隊長)
伝え、思い続け、信じて
それは、カンボジアで訪れたある小学校でのことでした。一人の焼きバナナ売りの少年が私に近づいてきたのです。
声をかけてくるわけでもなく、ただ私を見つめるだけの少年は、同年代の子供がたくさん通っている学校という場所で、何を見つめ、何を想い、焼きバナナを売っていたのでしょうか。
その少年と、休み時間にもなると私たちに群がってくる大勢の生徒たちとが決定的に違う点、それはただふたつ。制服を着ていないこと、そして売り物を並べた籠を持っているということ。
一家の貴重な労働力として生活費を稼ぐ少年を前に、私は、何も出来ませんでした。本当に何も。
日本という先進国に生まれ、十分な教育を受け、本当に恵まれた環境で育ったはず。そこで出会った少年のような、あるいはもっとひどい境遇を背負った人は世界中に本当にたくさんいることでしょう。それなのに、いざ一人の人間として向かい合ったとき、そこにいた“自分”は恐ろしく無力でした。
しかし、私はそれを悲観したくはありませんでした。専門技術のカケラも無い、一介の大学生である私にも何かできるはず。
そうです。“彼らの笑顔を知っていること”。これこそが私の強みです。
カンボジアの子供たちの笑顔を人に伝え、自分の心に思い続け、私は日本で自分の道を一生懸命歩んでいきたいと思います。それが彼らにどこかでつながっていくのだと信じて。
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抜けるような笑顔!